17興津 19府中−21岡部 25日坂

【概 要】
 府中(静岡)宿は市街化が進み道は城下町特有の鍵曲道であり、当時の面影もほとんど残ってい ないいので、分かり難くなっています。それでも、府中宿を出て阿部川橋を過ぎ丸子宿から 岡部宿へはゆっくりと時間が流れるような感じで自然と足も進みます。途中、丸子の丁子屋の”とろろ汁”と 宇津ノ谷峠の集落は見逃せません。
 島田から日坂にかけてはほとんど山の中なので、旧東海道の雰囲気が良く残っています。金山宿から日阪宿の 間には石畳や小夜の中山峠があり、昔の旅人の苦労を感じられます。しかし、小夜(さや)の中山峠東の青木坂 (箭置坂)を登りきると西の沓掛(二の曲がり)まで、視界が広がり山の尾根伝いにゆっくりと旧東海道 を感じながら歩くことができます。
【19 府中宿】(H18.11.16)
 府中宿も現在は静岡市街地と重なるので当時の面影を探すのは難しいく、街道も城下町特有の鍵曲道でわかりにくい ので大変である。
 街道の途中には駿河城跡 駿河城跡 があり現在は駿河公園になっています。現在も堀と石垣は残っていますが、五重の壮大な天 守閣は、江戸時代初期に焼失してしまい、明治時代は城跡が軍の施設にもなったことから、往時の建物は1つも残さ れていません。平成元年に巽櫓がそして、平成8年には二の丸東御門が復元されています。巽櫓は復元ですが、内部 もしっかり造られた本格的な建物で、梁の太さには驚かされます。
 又、この周りには静岡県庁(昭和12年:1937 設計 中村與資平) 静岡県庁 、静岡市役所(昭和9年:1934 設計 中村與資平) 静岡市役所 や静岡銀行本店(昭和6年:1931 設計 中村與資平) 駿河城跡 等昭和初めの懐かしい建物もあります。
せっかくですからこれらの建物も見て回っておきたいものです。
静岡市役所 静岡県庁 静岡銀行本店
静岡市庁舎
静岡県庁
静岡銀行本店

駿河城跡(堀) 二の丸東御門 駿河城跡(石垣)
駿河城跡(堀)
二の丸東御門
駿河城跡(石垣)

【20 丸子】(H18.11.16)
 府中宿を過ぎ安倍川橋を渡るとその辺りが間の宿「手越宿」です。そこからさらにちらほら残っている松並木を行 くと丸子宿です。丸子橋の手前に広重の描く「丸子名物茶店」の風情そのままの、とろろ汁で有名な「丁子屋」 旧見附学校 があり、名物の「麦めしとろろ」は今でも健在です。
手越宿付近の松並木 丸子宿と手越宿で見えた富士
手越宿付近の松並木
丸子宿と手越宿で見えた富士

丸子宿案内 丁子屋 丸子宿から岡部宿間の町並み
丸子宿案内
丁子屋
丸子宿から岡部宿間の町並み

【宇津ノ谷峠】(H18.11.16)
 丸子橋を渡って何度か国道1号線と合流を繰り返しながら旧道を歩いて行ていくと宇津ノ谷トンネルにさ しかかります。ここから岡部宿へは宇津ノ谷峠を越えるルートと蔦の細道をたどるルートの二つがあります。 蔦の細道 蔦の細道 は在原業平ゆかりの古代の東海道で現在はハイキングコースとして整備されています。一方、宇津 ノ谷峠 新居関所跡 は近世の東海道で宇津ノ谷の集落は往年の雰囲気が良く残っており、家々にはかっての屋号も下げています。 集落を過ぎて石段を登るとそこから峠が始まります。
 又、峠には明治時代にできた※1明治トンネル 明治トンネル 明治トンネル に始まって※2昭和トンネルそして ※3平成トンネルと時代とともに進化したトンネルが同じ時代に見ることができます。

※1明治7年(1874)5月着工し一度は明治9年(1876)6月に貫通し、 日本最初の有料トンネルとして開通しましたが、明治29年に失火により崩落し、再度レンガで修復明治35年 (1902)竣工に着工し明治37年(1904)竣工
※2大正15年(1926)工事に着手し、事業総額20万円をかけて昭和 5年(1930)に完成
※3平成2年に始まり、平成7年貫通し、平成10年竣工
丸子←宇津ノ谷→岡部 宇津ノ谷集落 宇津ノ谷集落
丸子←宇津ノ谷→岡部
宇津ノ谷集落
宇津ノ谷集落

明治のトンネル入り口(宇津ノ谷側) 明治のトンネル内部 平成のトンネル
明治のトンネル入り口(宇津ノ谷側)
明治のトンネル内部
平成のトンネル

【21 岡部】(H18.11.16)
 小さな宿場で町並みも変わってしまっていますが、道は昔の街道とほぼ同じルートのようなので、古い地図の上を歩いて いるような感じがします。そして、静かな町並みの中に天保7年に建てられ旅籠であった柏屋が整備されて大旅籠柏屋歴史 資料館 岡部町役場HP 大旅籠柏屋歴史資料館 として公開されていて宿場の雰囲気を感じることができます。又、宿場の西端には松並木も少し残っています。
岡部宿看板 大旅籠柏屋歴史資料館 岡部宿の松並木
岡部宿看板
大旅籠柏屋歴史資料館
岡部宿の松並木


【24 金谷宿】(H19.6.29)
 金谷宿にはほとんど宿としての遺構は残っていません。
 金谷宿を出ると近年「平成の道普請」として復元された金谷坂石畳 金谷坂石畳 があります。近年整備された坂道ですがこんもりとした木々の中を歩いてい くので十分旧東海道の雰囲気を味わうことができます。この金谷坂石畳の入り口には囲炉裏のある広 い板の間の休息があり、資料館にもなっている「石畳茶屋」がありゆったり旅のことを考えながら休 憩するにはぴったりです。
 こんもりとした林の金谷坂石畳を抜けてしばらく行くと「諏訪原城跡」 諏訪原城跡 諏訪原城跡 があります。この城跡は現在 (平成18年現在)整備中のようで森の中に細い道があり、所々に案内板がある程度で、城の形や雰 囲気はまったくありません。
金谷坂入り口横の石畳茶屋 金谷坂頂上
金谷坂入り口横の石畳茶屋 金谷坂頂上

諏訪原城跡案内板 諏訪原城本丸跡
諏訪原城跡案内板 諏訪原城本丸跡


【菊川宿】(H19.6.29)
 城諏訪原跡を過ぎるとすぐに次の石畳「菊川坂石畳」 菊川坂石畳 があります。この石畳も近年復元されたもので す。
 この石畳を過ぎて高麗橋を渡ると菊川宿です。高麗橋の横には田植えの時期だけ水を通す為に設 けられた珍しい水路橋 珍しい水路橋 が架かっています。この水路橋は使用しないときは上の方に持ち上げておく仕 組みになっています。
 菊川宿 菊川宿 を過ぎると、いよいよ箱根、鈴鹿とともにその険しさから東海道の三大難所と言われた、小夜 の中山峠です。東の青木坂(箭置坂:やおきさか) 青木坂(箭置坂:やおきさか) と西の沓掛(二の曲がり) 沓掛(二の曲がり) に旅人は泣かされたらしい。
 まず、箭置坂を登りきると「久延寺」 久延寺 久延寺 があります。ここには、関ヶ原に向かう徳川家康をもてなした と言う「接待茶屋跡」や家康手植えの五葉松や「夜泣き石」 久延寺 の一つがあります。又、久延寺の姿が現 在も昔とあまり変わっていないことが門前にある古図からもわかります。 久延寺のすぐ横には江戸時代創業の茶屋「扇屋」 扇屋 があります。ここでは、夜泣き石伝説にちなんだ「 子育て飴」が名物で今も販売しています。
 ここから、二の曲がりの坂までは視野も開け遠くに茶畑を 望みながら句碑や歌碑を眺めならゆっくりと旅を満喫できます。
菊川坂石畳頂上 菊川坂石畳登り口 珍しい水路橋
菊川坂石畳頂上 菊川坂石畳登り口 珍しい水路橋

久延寺 久延寺古図 久延寺内の夜泣き石
久延寺 久延寺古図 久延寺内の夜泣き石

子育て飴で有名な扇屋 青木坂と二の曲がり間の風景 二の曲がり坂
子育て飴で有名な扇屋 青木坂と二の曲がり間の風景 二の曲がり坂

【25 日坂宿】(H19.6.28)
 急な坂の二の曲がりを終えて国道1号線のバイパスをくぐるとと日坂宿です。
 最初に、幼稚園となっている扇屋本陣跡 扇屋本陣跡 の立派な門と街道から移植した松が目につきます。
 ここは古い町並みや建物が多く残っていて、当時の雰囲気が良く残っています。家々には 江戸時代の屋号が掛けられています。これは江戸時代から持ち主と家の場所が変わっていない からだと言われています。
西のはずれには当時の面影がそのままに残る「川坂屋」 川坂屋 があり一般に公開され、「秋葉山常夜灯」 秋葉山常夜灯 が宿場の端にあります。
西木戸の代わりだった、逆川にかかる橋のそばには高札場 高札場 も復元されています。
扇屋本陣跡 高札場
扇屋本陣跡 高札場

川坂屋 秋葉山常夜灯
川坂屋 秋葉山常夜灯